ペン回しパフォーマーKayの歴史




このサイトの管理人であるペン回しパフォーマーKayの歴史を書きます。
専門用語がいくつか出てくるため、事前に用語解説現代のペン回しを見ることをおすすめします。

中学生

○中学3年の冬からペン回しを始める。
きっかけはクラスの友達がやっていたペン回しを見て、「俺もやってみたい!」と思ったところから。

○やり方を調べるためにネットで「ペン回し」と検索すると、ペン回し資料室というサイトを見つける。開いてみるとものすごい数の技名が並んでおり
「ペン回しってこんなにたくさんあるの!?!?」
と衝撃を受ける。

○2時間ほど練習して習得したのがノーマルだった。そこから資料室にある別の技にも挑戦。ソニックやシメトリカルソニック、ハーフガンマンなどを覚える。ちなみに当時使っていたのは旧型のDr.Grip

○一緒に練習していた友達は2人ほどいたが、ここまではまったのは自分だけだった。

○ペン回しコラボレーションビデオ「JapEn 1st」を初めて見る。

「なんだこれは…!? やばるぎる!! ペン回しってこんなにかっこいいのか!!」

ここで完全にペン回しの世界の虜となった。

 

高校1年

○さすがに自己紹介でペン回しのことは話せず、仲良くなった人だけに見せるくらい。

○徐々にオープンになり、改造ペンを学校に持って行ったりも。しかしある時、他クラスの人にものすごく冷ややかな目で見られる。この時からペン回しに対する見られ方を気にするようになった。

○ある程度滑らかに技を繋げるようになった頃、一部の偏見の目もありつつも「ペン回し見せてよ!」なんて声をかけてくれる人も現れ、注文されたからにはペン回しを披露するわけだが、数秒連続した技を見せていると「なんかもっと違うのやってよ」という事を言われることが…

○自分では違う技をやっているつもりなのに、それがペン回しをよく知らない人から見ると同じように見える。その事実に気付く。

ps-728さんとbonkuraさんの動画を見る。この二人は体全体を写して、両手を使ったりジャグリングのような動きをミックスさせた作品を出していた。

「こんな自由なこと、やっていいんだ!」

その自由なスタイルに感銘を受け、そのスタイルを真似し始める。

○右手から左手に移ったり、肘に挟む動きやヒザでリフティングをするような技を覚えたあと、再び学校で「ペン回し見せてよ」案件が発生。
そこで試しに技を披露すると

「それスゲェじゃん!!」

という声があり、こういう方が分かりやすいんだな、という認識が出来た。これがきっかけでさらにこの両手・立ちスタイル系統の技を深めていくことになる。

 

高校2年

○日本のペン回し総合掲示板、JEBに登録。当時の名前は「Temple」だった。

○ペン回しを通じた友達ができ、初めてCV「Ryun 1st」に出演。

○このあたりから、なんとなく「ペン回し、もっと周りから見てもカッコいいものにしていきたいな~」なんて思っていた。

◆この年は2008年。ペン回しの全国大会が初めて開催され、テレビにも取り上げられることが増えるなど、ペン回しブームが起きた年。この時の大会では私はまだ実力もなくぺーぺーだったので完全に見る側だった。
(その全国大会優勝者が同い年ということを後に知り、あまりの実力差に絶望したのは覚えている)

○ジャグリングを始める。幼い頃にどこかで見たジャグリング公演、どこで見たかも覚えていないが、今でもその1シーンが思い出せるほど自分の心には残っていた。それがペン回しを通じて思い起こされたのだろう。
ただ、ジャグリングはペン回しと比べて体を使った運動に近く、運動神経がまるでなかった私は道具を買っても一向に上手くならなかった…

○100均で買ったボールでいくつかの基本技をやっとの思いで出来るようになった頃、YouTubeで水晶玉を使うジャグリングを見つけた。
それがこの「おこたんぺ」さんの動画 https://www.youtube.com/watch?v=6iC3b5JnSIE

「これすげぇ! これだったら指先系の技だし向いてるかも!」

そんな軽い気持ちで初めてクリスタルボールを購入。

高校3年

○両手の技をさらに研究。ペン回しでの名前をKateに変更。
(Kateという名前は本名のイニシャルからもじった名前)

○YouTubeで2p2h presentationを公開。
(昔の作品も残り続けるYouTubeって素晴らしい!)

○ナランハペン回しフェスティバルにも参加。出るだけ出てみようという勢いでコンテストにも参加したが、成績は残せなかった。
(当時を覚えている人はなるべく忘れてくださいお願いします)

◆ちなみにこのあたりで知り合ったペン回し関係の友達からは未だに「ケイト」と呼ばれることが多い。

○冬にはKate&Queen tag videoを公開。右手と左手で別名義でのタッグビデオは未だにこの動画以外出ていない?自分なりに思考をこらして環境のオシャレさだけを考えて作っていた
(当時のセンスなので多めに見て笑)内容はほぼアドリブだったので適当感はいなめない。

このあたりの動画はカードフラリッシュの動画作品に影響を受けている。
https://www.youtube.com/watch?v=wvVDNfT9ThQ

 

大学1年

○CVへの出演も増え始め、両手の人としてペン回し界での認知度が徐々に上がってくる。

○夏、ナランハペン回しフェスティバル(以下NPF)のフリースタイルコンテストでなんと準優勝を獲得!
この時のルールは事前にアピールポイントを申請し、そのアピールポイントをいかに実行できたかという項目があり、自分の武器と感じていた立った状態でのいわゆる「アクロバットスタイル」というアピールポイントを設定していた。
(本物のアクロバットを知ってからこの呼び方をしたくない。全然アクロバットではないでしょう…)

当時の動画がこれ

懐かしいし恥ずかしい笑

○ジャグリング友達と出会い、ジャグリングサークルの立ち上げを決定。

 

大学2年

○このあたりからジャグリングの他、フラリッシュなどの別の技術の練習比率が上がる。

○当時体を使ったスタイルを得意とし、ジャグリングで人前にも立っていた事から、ペン回しでもショーが出来るのではないかと思い始めていた。

○ふと思い立ち、ペン回しでプロとして活動している人はいるのかを調べる。
該当する人物はいなかったものの、気になる検索結果が現れた。

「パフォーマー募集 ジャンル:ペン回し」

ペン回しのパフォーマーを募集している事務所があったのだ。

○この時、

「ペン回しで、パフォーマンスらしい技が出来て、なおかつ人前で演じた経験もある… これは自分にしか出来ないのではないか?

そう思った。
当時、2008年に巻き起こったペン回しブームも過ぎ去り、メディアでペン回しが取り上げられることも少なくなっていたこともあり、「自分がパフォーマーとして、ペン回しはこんなにカッコイイものなんだってことを発信する役目になれないだろうか」という思いが強くなっていった。

○次第にその意識は強くなり、次のNPFで結果が残せたらこの事務所に応募しようと決意。

○NPF2011で再び準優勝。目指していた結果には至らなかったが、事務所への応募はしようと決断。
その時出した動画がこれだった。

○たまたまその事務所所属のパフォーマーが近くで公演をするということを知り、行ってみるとその事務所の社長と直接ご挨拶することが出来たこともあり、事務所への所属が決定。

○決定と同時に親から人生についての意見を貰う。

 

大学3年

○プロパフォーマーとして活動することを発表したが、ペン回し界からは様々な意見が飛び交う。
応援して下さる人もいたが、いわゆる叩き行為が横行し、精神的にもかなり参っていた。

◆思い返せば当時のペン回しの技術は決して高くなく、ある意味当然の反応だったと思う。ただ、人に見せるためのペン回しでは負けない、という自信はあった。
(自意識過剰だったかもしれないが、この一歩がなかったら今の私はいない)

○Kateは女性名だというコメントが気になり、男性名でも使えるKayに改名。

○事務所からの要請でPVを作成。その時完成したのが現在200万再生を記録しているこの動画


(アップロード日とズレがあるが、これは元々事務所側のアカウントで公開されていたものを後に自分のアカウントでアップし直したため)

○事務所に入ればなんとかなると思っていたが、現実はそんなに甘くなく、仕事は一向に取れない。
実際ペン回しだけでショーをしたことはなかったため、当然の結果だった。

○もっとパフォーマンスのことを勉強しようと思い、さまざまなショーイベントに足を運ぶ。
その中で一人のパフォーマンスチームプロデューサーと出会う。
その人は世界レベルのパフォーマーを揃えたパフォーマンスチームをプロデュースしている人だった。

○その人から「Kayもステージに立ってみないか」と誘われ、一度やってみることに。
その時の初めてのペン回しショーはひどいもので… 演技中に何度ペンを落としたことだろうか…

○ステージ上でのパフォーマンスの難しさを痛感。
事務所では拘束が厳しく、このチームに関わることは出来なかったが「今成長するにはここしかない」と思い、事務所から離れることを決意。

●当時の事務所には多大なご迷惑をおかけしましたが、ここの存在がなければプロパフォーマーという道は選べませんでした。ありがとうございました。

◆3年の秋学期から1年間の休学を決定。とりあえず1年、やってみなさいという親から与えられたチャレンジ期間。

○チームの2郡のようなポジションで定期的にステージに上がらせていただいた。
この時のチームメンバーは本当に世界レベルのパフォーマーのみしかおらず、圧倒された…

○仕事では30分のショーが基本だという事を知り、途方にくれる。

「ペン回しだけで30分のショーなんて出来るわけがない!」

当時はそう思い、ジャグリングと組み合わせたパッケージを思いつく。

 

休学期間

○チームの正規メンバーになる。周りのレベルの高さに必死で追いつくため、技術を磨く日々。
ペン回しの練習もジャグリングの練習も一日中やっていた。

この時やっていたのがこのルーティン

たまにやるショーでは本番中にばんばんペンを落とす。
喋りもたどたどしく、出来ない自分に気分を落とす日々。

◆ペンの見栄えなども考え、様々なタイプを試作した。

○東京都公認パフォーマンスライセンス ヘブンアーティストを受けるが2次審査で落選。

○パフォーマンス業界の先輩方から様々な意見を頂き、人生について考える。

○初めて大道芸をやるが大失敗。
ここで ”お金がない→いい物が揃えられない→いいショーができない→お金が稼げない” の負のループを経験

○一度就職することを決意。

○「ペン回しパフォーマンス」PVを自分のアカウントでアップし直す。
ベトナムからのアクセスがきっかけで再生回数が一気に加速。

 

復学 (2013年 9月〜)

○大学に行きつつ休学期間中に作った出会いをもとに仕事を少しずつこなす。

○ワールドトーナメント2013に出場。技術の底上げ、ペン回し界にも実力を示すために。

 

大学4年

○卒研をしつつ練習をしつつパフォーマンス活動。この時には入っていたパフォーマンスチームは無くなっていた。

○ペン回しイベント「旋転独眼竜」での出演を依頼される。
ペン回し関係者しか見ていない環境でのショーということで今まで以上に緊張していた。この時、見せて恥ずかしくないものを、と思って作成したのがこのルーティン。

○旋転独眼竜での出演で一度も落とさずに演じ切る。(主催の人が感極まって泣いていた。この時、自分の役割を改めて感じた)

◆このあたりからペン回し界からの評価も少しずつ変わってきた気がする。

 

大学卒業 就職 (2015年)

○ネイル関係の会社に就職。
その期間はさすがに活動が出来なかったが、練習は怠らなかった(ショーの世界には必ず戻ると心に決めていた)。

また、この会社が本当に良い会社でお得意様を招いてのパーティの際にパフォーマンスをさせてもらっていた。さらにそれに対しての謝礼も支払われていた。

○11月半ば、会社を辞めた。
会社員時期は本当に短かったが、多くのことを学び、稼いだお金でパフォーマンス用の機材を整えた。
お金がない負のループからまず抜け出すために。

本当に良い会社でした。平謝りする事しか出来ませんが、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

 

2016年

○バイトをしつつパフォーマンス活動を開始。まずはショーの基礎の部分を叩き込もうと、大道芸をやる事に。たくさんの大道芸を見て学び、その時出来る技で大道芸の構成を作った。ペン回しのショーは最後にやると決めていた。

○応募制の大道芸イベントで出演。なんとか形にはなったかなという感じ。

◆ちなみにこの時は派遣の軽作業バイトをやってたが、ある時期だけ「多摩川を登ってくるアユの数を数える」という謎のバイトをしていた笑

○このあたりから目標を設定。まずはジャグリングと組み合わせた構成で基礎を作り、そこからペン回しのショーを作っていこうと決めた。

○4月から先輩の紹介で大道芸スポットに入れてもらう。とてもいい環境で経験値を積めた。

○銀座のバーでテーブルショーなども実施。

○東京都公認パフォーマンスライセンス ヘブンアーティストに合格!

 

2017年

○ヘブンアーティスト活動を中心に行い、ショーのクオリティも段々と上がってくる。

ニッケン刃物様のPVに出演。

○docomoのwebCMを総合監修&出演。

○大道芸グランプリやコンテストに出場。出会いや先輩からの紹介などで仕事の幅を拡げていく。

◆ショーの内容は安定してきていたが、同時にジャグリングが強すぎてペン回しが霞んでしまうという問題に直面。

○ペン回しワールドトーナメント2017に出場(3回戦で敗退)。
中国の国際連盟主催の大会で優勝。

 

2018年

○ペン回しが霞んでしまう問題と向き合い、新しいキャラクターを作った。大道芸の先輩方からは良い評価を頂けたが、少し尖りすぎたキャラクターだったため、完全にシフトチェンジするのは難しいという結論に至った。
悩んだ末に安定した構成に戻し、このキャラクターは限定的な場面だけで使おうと決断。

○NPFで優勝。この年はテクニカル部門とアーティスティック部門の2部門あったが、両方で優勝を取った。
2011年の惜敗から7年、やっと手にした。

○YouTubeでの活動にも力を入れ始める。

○国内オンライン団体戦で優勝。

○中国でオフラインの国際大会に出場。

 

2019年

○ペン回しだけのショーを実践。

○「子供の科学」に掲載。


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